逮捕されたらどーなる
前回に引き続き檻シリーズpt.2
・3日目
見るもの出会うもの全てが初体験だった逮捕2日目とは違い3日目にもなると本当にこれが現実なんだと実感していました。
目が覚めた時の「見知らぬ天井」は消え失せ
あ、そーいや俺捕まってんだったわ
くらいにまで順応してきました。
初日にマジ怖かったキ○ガイの相方も、もはやどーでもいい。というかお菓子や雑誌を交換するくらいまで仲良くなってた。
今何してるか知らんがあん時読ませてくれたジャンプ最高だったぜ。
それとロシアの妖せ(ry
※TENGAに見えたアナタは病気
話を戻します。
まず記事の冒頭にイメージの為載せた画像ですが、誤解の無いよう言っておきますと刑事が留置に来る事は例外を除き10000000%無い(はず)です。
自分は合計60日以上居ましたが他の房含めそんなの見た事も聞いた事もありません。
なんなら留置所は警察署内では完全に別エリアみたいな扱いであり、檻にに着くまでに1〜3枚ほどの扉がありまして刑事が留置の扉を開けるにもこちら側の看守の許可が必要なのです。
なのでドラマでよくある「被疑者の房まで行って直接話をする」というのはあくまでドラマ上の演出という事でしょう。多分。
そして本格的な取り調べが開始されるのはこの日から。
事件の内容次第で取り調べの時間はかなり変わります。自分の場合だと長くて3時間くらい。
最初はうぜーとか、めんどくせーとか思ってた取り調べですが
日にちが経つにつれ
だんだんこの時間が待ち遠しく?なっていました。
理由は簡単
※画像は全然関係ない
留置ってクソヒマだからです。
ほんッッとにやる事ないんですよ
本も読めますが、読める時間が決まっているのと貸し出しは1日3冊まで (場所による)
3冊なんてやる事ない留置では時間潰しにもなりません。
なのですぐ読み終わる漫画より文字数が多い小説などを皆好む傾向があります。
自分の場合
北斗の拳と花の慶次から読み始めたんですが、すぐに読破してしまったので後半は黒人指導者マルコムXの自伝を読んでいました。
500ページくらいあって結構楽しかったのでオススメです←?
そんな理由から人と自由に話せる、時間も経つのが早い取り調べは最高の暇つぶしになるのです。
あとこれは刑事から聞きましたが、昔はコーヒーも出せたし、取り調べ室でタバコも一緒に吸ってたそうです(もちろんホントはダメ)
でもそっちの方が被疑者も心を開いてしっかり話をしてくれるし、警察も仕事が捗るしでwin-winの関係だったそう
それが今は「取り調べ室の可視化」により一切出来なくなってしまって
ごめんな
と言っていました。
青服は自分達を人間として見ていないので今でも大っ嫌いですが、刑事は話が分かる方が多かった印象です。
・4日目
驚くべき事がありました。
実は逮捕された時、刑事から
「金は持ってるのか?」
と聞かれ不思議に思っていたんですね、
檻の中で金なんか使う事ねーだろ!って。
それが
使う事、あるんです。
週に一回、自分の所は水曜日に雑誌とお菓子、タバコや日用品を頼む事が出来たのです!
これには驚きでした
所定の紙に欲しい物を書いたり、○したりして注文するのです。
そして周りに居たアニキ達から自弁というシステムを教わったのもこの頃
・自弁とは
いつも勝手に出てくる弁当(監弁)とは別に自分でお金を払って高級?な弁当を頼む事ができます。
値段は1000円くらいの所が多いようです。
これが中々の量がありまして
※画像はイメージ
お重で3段 全てオカズ
ご飯は別皿 (別箱?
しかもいつもの監弁もそのままセット。
誰が決めたか知らないけど合わせるとマジでバカジャネーノって量になります。
500円で半分でええやん...と何度も思いました。
ホントその辺の融通は利かないので、頼んだ人は大体同房の人と分けて食べていました。
金持ちの人は毎日自弁を頼むので太る太る
食っちゃ寝、を地でいく事になりますからね^ ^
・5日目
待ちに待ったお風呂です。
お風呂は基本 週に2回
もちろん時間が決まっていて一人10分くらい。
一人づつ5分くらい時間をずらして同時に3人以上にならないようにお風呂に入ります。
そこで出会った50歳くらいのおじさん
話を聞いたら
知人に貸したお金を返して貰いに行ったら
警察呼ばれて
車からポン刀出てきちゃって
銃刀法違反でパクられたらしい
ん??
恐らく893屋さんなんですが最初全然意味わからんで笑って流してました。
そんな感じで話してたら地元が同じってことで気に入られたらしく、その方のヤサを教えて貰い「面倒見てやるから無事出たらここにきな」と言われました。
が、僕は行きませんでした。
何故なら自分はこれから真っ当な人間になる!と心に決めていた。決意していたからです。
※ドヤ顔イメージ
ですが人生とは不思議なもので、その決意も虚しく自分は更に2回も逮捕される事になります。
確かニーチェ先生も仰っていましたが
「人生で最も無駄な事は決意する事」
沁みます
人間はそう簡単に変わらないと言う事でしょうか。
ですが僕は今はもう全てから足を洗い
こうしてblogを書いています。
変われない事なんてない
何故ならこの世の物事全ては変わり続ける事が唯一変わらない事だからです
受け売りですが。
そんな感じで
この経験が誰かしらの為になるよう
僕はもう少し書き続けたいと思います。
それでは
また次回
碗愛
日本の闇
何書こうかなーと考え書き初め
はや3記事目
唐突に思いつきました。
そうだ
そうだ。
逮捕されたらどうなるかを書こう。
みなさん、逮捕された事ありますか?
ねーよ!って声が聞こえてきそうですが...
恥ずかしながら自分はあります
しかも
3times(ウザ)
自慢する事ではないので罪名は伏せさせて頂きますが
実際に捕まらないと分からない事が沢山ありました。
最初に一言言っておきますと
捕まった人 = 100%悪人
ではありません (ドヤァ
知らない人は驚くかもしれませんが
冤罪に苦しみ、家族や愛する人の為、必死に警察、検察と戦う人も多くいるのです。
※画像はイメージです
今回はそんな檻の中のエピソードから
【1日目】
この国では被疑者として逮捕されると
初日はまず警察署の留置にぶち込まれます。
留置所に行く前には
・簡単な取り調べ
・身長、体重、指紋 (十指全て) などの登録
・全身の身体検査 (パンツも脱ぎます)
・留置所内の規則の確認
例外もあるそうですが基本的にはこれら全てを終えて初めて入る事が許されます←?
※画像はイメージです
まず自分が入って印象的だったのは
・名前と番号どっちで呼ばれたいか聞かれる
・オヤジ(看守)は意外と優しい
・自分の逮捕を誰かに知らせる為には電話番号を暗記しなければならない
・タバコ吸える(今は無理)
こんな感じで
朝に逮捕されて畳に腰を下ろす頃には窓から夕日が差し込んでいました。
なす術なくいきなり他人によって自由を奪われる衝撃とストレスは相当なもので、
1〜2日ならまだしもこれが数ヶ月以上ともなるとキ※ガイのようになってしまう人もいて
自分と同房の方がまさに「それ」でした。
・挨拶しても無視
・壁と会話してる
・ずっと体育座りで指遊び
などなど
思い返すとまだまだありますが
とりま「モロ」でした。
後で知りましたがその人どこぞの会社の跡取りだったそうで、後日同僚が迎えに来てました
頭もいいんでしょうね
ネタは飲酒で事故。
そんな相方と隣同士、布団を敷いて寝るのは最初なかなかドキドキしました。
【2日目】
朝は6時半から
布団を片付け、歯磨き洗顔、部屋の掃除
7時から朝ご飯
この後、呼ばれた房から順に体操 (と言う名のタバコタイム) や、曜日によってはお風呂、あとは刑事に取り調べ、弁護士や家族との接見で呼ばれるまで部屋で待機となります。
ですが2日目には絶対に通らなくてはならない道があるのです。
それは
検事と面会する事。
さらに言うと
裁判官に会わなくてはいけません。
これは警察が捕まえた被疑者(自分)の情報を検事と直接話し精査した上で検事が起訴するかどうかを決める「検事調べ」
これに伴い
調べてる内に逃げちゃう可能性のある被疑者は拘留してもいいよ!
みたいな事を裁判官サマからお許しいただく為に自ら行かなくてはいけません。
説明ヘタですまソ
ざっくり言うと
場所によりけりらしいですが
検察庁に到着すると地下へ案内され
3畳くらいの檻の中に初対面の6人でぶっこまれ
3人づつ壁に背中を向け、お互いに向かい合う形で木の椅子に座ると
マジで「合コン」状態になります。
テーブルはありません
飲み物は水かお茶
登場人物、全員男。
A「おはようございます。お兄さんどちらから?」
B「自分は○○警察署からです」
みたいなのから始まり
C「お兄さん、何やられたんですか?」
D「いやぁ、ムカつくヤツの目潰しちゃってぇ..」
も居れば
E「こんなとこ慣れっこじゃい!」
徐ろに腕を捲り上げて
E「もうここにはベンツ2台分(のシャブ)入ってるぞ!ガハハ!」
みたいな人もマジでいました。
こんなとこに一日、何時間いると思います?
一日よゆうで10時間くらいいます
経験上ですが。
8時過ぎにバス(ブタ箱のやつ)に乗って、早くても10時に検察庁について夕方6時に出るくらいで、そこから裁判所となると留置所に帰ってくるのは余裕で9時超えてました。
これ
マジ死ぬほどキツイっす
そこで出会った1人の男性
確認した訳ではないので予想ですが見た目では30歳くらいで色黒のいわゆるイカツイDQ(ry
話をしていると息子さんがいらっしゃるパパさんのようで、どうしてこんな所にいなきゃいけないのかといった様子でした。
パパによると
小学生の息子さんが被っていた帽子ゴム紐を先生が閉めようと、ゴムを引っ張った時に誤って指が外れ運悪く息子さんの目に当たってしまった。
仕方がない事かもしれないが、なぜか先生はこれを誰にも報告せずに黙っていた。
後日、息子が目の痛みを訴えたので病院に行ってみると視力が落ちるほどの怪我をしていた。
息子から原因を聞いてパパが先生を問い詰めたところ先生が非を認め謝罪
校長を含め話合いな行われ示談で解決。
したはずの後日
市の教育委員会が学校の非を認めず教師の態度も一変、警察に恐喝で被害届を提出し逮捕されたらしい。
仕事も出来ず、家族にも会えず
運命を握っているのは「被害者」のさじ加減ひとつ
どっちが被害者なんだっつー話ですよマジで
言ったもん勝ち
こえぇ
では今日はこれくらいで
寝るわ
碗愛
平和
北朝鮮と各国との緊張が高まる中
みなさまどうお過ごしでしょうか
このblogを始めたのは9/9
かの有名な同時多発テロ事件があった9/11
ぶっちゃけ今日までめっちゃドキドキしておりました。
いつミサイルをぶっ放してもおかしく無いと言われる状況でジャーナリストでもなんでもない素人の僕からするとやっぱり多少の不安はあります。
こんな事いうとアレかも知れませんが
「ぶっ放すなら寝てる内に頼む」
威力が広島原爆の10倍らしいですよ。
ぶっちゃけ都内在住の身からしたら
「あと10分くらいでミサイル落ちるんで逃げて」とか
無駄な足掻きにしかならないと思うんですよね..
イヤーマイッタ
どうせ人間最後は死ぬんだからと思ってる僕は全然okなんですけど(爆
その直前まで意識があるのはつらたんです。はい。
でも本当に死ぬなら
それまでに溜まったパチンコ貯金を返(ry
で、本題の9/11ですが
2001年にワールドトレードセンターが無くなった日
3000人近い命が失われた日
自分がテロというものを初めて認識した日
確か当時僕は中学生か小学生で
深夜に自分の部屋でドエロいの見ようかなとテレビをつけたらどこ回してもこのニュース一色だった記憶があります。
内心 (ワールドトレードセンターって何ぞ?) 状態で
まさかその数年後、その跡地に実際に行く事になるなんてチ○ポ握った少年は想像もしてませんでした....
僕は実物を見た事がありませんがこんなに綺麗な建物だったんですね
自分が行った時は周りがフェンスで囲われ、跡地には下に降る階段があり、その先には被害者家族が描いた絵や手紙などが壁一面に貼られていて、とてもじゃないけど写真なんぞ取る気にもなれませんでした。
その頃はもう事件から2〜3年たっていましたがフェンスの前で延々と泣き噦る人もいましたし、まだみんな本当に辛いんだなとクソガキながら心に来るものをひしひしと感じていました。
日本に住んでるとどうしても他の国、人、文化、宗教に対して疎くなりがちで自分もそうでした。
実際今もそうかも知れません
記念日というにはあまりに痛ましい事件ですが
こうして自分達が経験した事を伝えて忘れないようにするって凄く大事だと思うんですよね
広島のおじいちゃん達の言葉と同じように。
だからこの1日くらい
24時間のなかの1分だけでも
失われた多くの魂に安息が訪れるよう
祈りたいと思います。
We never forget.
To all the lost soul, Rest in paradise.
amen.
碗愛
初投稿
初めまして
おもむろにブログをはじめました
そして書いていたら日付がかわりました
おはようございます。
他の方と同じ様な事書いてても面白くないと思うので
なるべくオリジナルなものを書いていきたいと思ってますが
とりあえず最初は自己紹介も兼ねて自分の事を書きたいと思います。
管理人は都内在住のラーメン大好き男
高校を1ヶ月で中退し
そこから働き初めたいわゆるド底辺で(ry
好きなものはblack musicとギャンブル
お気付きの方もいらっしゃると思いますが
yellowhippieというのは僕の好きなhiphopグループをもじって付けました
昔から音楽が好きだったので
高校を辞めてから貯めたお金でアメリカ住んでいた時期がありました。
ちょうどいい時期なので
今回はその時の話を少し
アメリカの学校は9月からスタートするので(多分)
環境に慣れる為に自分が渡米したのは夏前
当時のアメリカ(NY)は市長の治安改善の努力が実り、危ないと言われていたHarlem(ハーレム)なども観光客で溢れていました
Harlemはhiphopが大好きな少年にとっては憧れの地であり、当時の僕も例に漏れず渡米した次の日には観光目的でウキウキしながら向かったのを覚えています。
全く英語が出来なかったので(中学時代のテストは最高5点)
必死にジェスチャーを交えて2ドルの切符を買い、電車を乗り継いで目的地へ
そこに待ち受けていたのは日本とは違う
音楽溢れる街並みとフレンドリーな人達
....
...
..
.
ではなく3人のGangstaでした
アメリカという国の歴史に対して全くの無知だった僕は確かその時Championの赤のパーカーを着ていて、靴や帽子などもバチバチでした。(hiphopファッションでいう色を合わせる意)
これが原因でした
向こうには大まかに2つのギャングが存在し
それぞれにチームカラーがありまして
目の前の彼等の服装は「青」
つまりClipsでした
要するに僕は敵対するチーム(Bloods)と勘違いされてしまった訳です。
渡米2日目で死を身近に感じました(実は初日にも死にかけてるがそれはまた)
必死にジェスチャーで敵ではない事を伝えるアジア人
訳わからん英語でまくし立ててくる黒人
見て見ぬフリする白人警官
まさに人種の坩堝を絵に描いたような光景だったでしょう。
埒があかないと悟った僕がとった行動は
....
...
..
.
.
ダッシュ。ひたすらダッシュ!
恐らく人生で出した最高速度はあの時でした
タイムを計っていたら日本人初の100m9秒台は桐生選手ではなく僕だった事でしょう
そのくらい必死に駅まで走りました。
そんなこんなで息も絶え絶え
人生初のHarlemは最悪でした。
郷に入れば郷に従え、無知は罪というのを身を以て教えて頂いた1日でした
そんな経験が今の自分を作り上げているのです←?
最近のマイブームは遊戯王DUEL LINX
ここまで読んでくれた方に感謝(ドヤ
いつまで続くか分かりませんがこんな感じで続けていければいいなと思ってますので
どうか皆様
ゆるく
長い目で
お付き合い頂ければ幸いです^ ^
それとこのblogに関してですが
本当に何も分からない状態で初めていますので
もっとこうした方がいいよ!とか
使い方違うんだよテメー!など
ありましたらコメントで是非ご指摘下さい
それでは
碗愛